「創立100周年記念式典」を挙行【日本医療機器学会】
関係者ら約250名が参集し祝福
日本医療機器学会(理事長=高階雅紀氏、東京都文京区)は、大正12年(1923年)3月の創立以来、今年で100周年を迎えたことを記念して、9月29日㈮午後4時から、東京・丸の内のパレスホテル東京で、関係者ら約250名が参加のもと「創立100周年記念式典」「創立100周年記念祝賀会」を開催した。
創立100周年記念式典で式辞に立った高階理事長は、日本医療機器学会の設立の経緯に言及し「当学会は100周年を迎えたが、100年の前にプロローグがある。日露戦争の時に負傷者を治療する際に、国産の医療機器は非常に粗悪品が多かったため、医療従事者から『医療機器は外国製に限る』との声が出た。それを危惧した、いわしや松本器械店の松本福松社長が、何とかしなくてはと考え、同業者らと明治39年に医科器械研究会を立ち上げた。これが当学会のルーツとなる。その後、明治44年に東京医科器械同業組合が設立され、そこを母体に大正8年に新たに医科器械研究会が立ち上がり、100年前の大正12年に研究会の総会で、名称を日本医科器械学会(当時)とし、組織化することを決定した」と語った。
関東大震災や戦災を乗り越え発展へ
設立後の活動については「設立2か月後の5月には学会誌第1巻を発行したほか、規格統一委員会や電気部会などの組織を次々と立ち上げ、活発に活動を展開した。電気部会は血脈としてME学会につながっている。設立半年後の9月には関東大震災により、2か月ほど活動を停止したが、12月から学会誌の発行を開始し、翌年の大正13年4月に第1回総会と医科器械展示会を開催した。第一次世界大戦により、総会と展示会は3年間の休止を経て再開され、現在のメディカルショージャパンに受け継がれている。大正15年には日本医学会の第34分科会に認定され、昭和9年には医科器械図録の発行も始めた。その後、第二次世界大戦の影響で活動は一時休止となったが、昭和22年の総会から活動を再開し、現在に至っている。組織も近代化され、平成19年に現学会名に変更し、平成23年には一般社団法人として法人格を取得した」と回顧した。
同学会の特徴にふれては「当学会の会員は医師、医学・医療の研究者、看護師、臨床工学技士、滅菌技士、病院の材料部・滅菌部の職員、医療機器の研究開発に携わる工学系・情報系の研究者、医療機器関連企業――など医療機器に関わるあらゆる業種で構成されている。研究テーマは医療機器の開発に留まらず、マーケティングや製造、販売など医療機器に関する様々なことがテーマとなる。現在の会員数は6,500人を数えるまでになった。今後も研究テーマに取り組むことで、人類の健康と福祉に貢献していきたい」と述べた。
次いで、来賓を代表して、厚生労働省の三浦靖大臣政務官、経済産業省の吉田宣弘大臣政務官、日本医学会の磯博康副会長、日本生体医工学会の原口亮副理事長、日本医療機器工業会の松本謙一理事長――らが祝辞に立ち、それぞれの立場で同学会100周年を祝福する言葉を述べた。
このあと、創立100周年記念講演会が行われ、講師に招へいされた京都大学大学院の川上浩司教授が「医療や健診現場由来のデジタルデータを用いた医学研究の動向」をテーマに講演した。
医療の中で果たす役割が一層拡大
式典の閉会の辞に立った100周年記念事業実行委員会の安原洋委員長は「この式典を通して当学会が歩んできた過去100年の歴史を振り返り、学会員の皆さまに育てていただき本日があると改めて感じることができた。また、当学会が今後、我が国の医療の中で果たすべき役割が、ますます大きくなっていることを実感し、使命感にも似た思いが、うずうずと巻き上がっているのを感じている」とし、式典参加者に感謝の気持ちを述べた。
引き続き、創立100周年記念祝賀会は、高階理事長が式辞を述べたあと、来賓の武見敬三厚生労働大臣、日本医療機器産業連合会の松本謙一副会長、日本医師会の宮川政昭常任理事、日本臨床工学技士会の本間崇理事長、日本医療機器販売業協会の山下尚登会長――らが祝辞を述べた。
ここで、医療機器センターの菊地眞理事長が〝乾杯〟の発声を行い、祝賀会は開宴した。会場では参加者らが和やかに歓談しながら、100周年を祝福し合った。ひと時の歓談のあと、同学会の林正晃副理事長の『閉会の辞』で散会となった。