【寄稿】「第66回ASGS年次大会(ワシントン州)」参加レポート
「第66回ASGS年次大会」に参加して【中村 剛(日本理化学硝子機器工業会 会長、㈲ナカムラ理化 社長)】
2023年6月の終わりにアメリカの理化学硝子職人の集まり「ASGS」(The・American・Scientific・Glassblowers・Society)の年次大会に参加してきた。
皆さんご存じのように日本でもやっとコロナ禍の終わりが見えたタイミングである。昨年はフロリダでの開催で、行ってみて分かったがアメリカはもう気にしていなかった。しかしながら日本はまだまだコロナ禍で出国も帰国も結構、苦労したのを覚えている。今年はさすがにそんな事は無く出国も帰国もスムースに前と同じになっていた、はずだった。
今年の開催はワシントン州のバンクーバーでの開催となった。ホテルに近いのはポートランド空港、車で10分位の場所にある。年次大会への参加を予約して、飛行機も早めに予約した。ポートランドはオレゴン州にあり広いアメリカ大陸の西側の北に位置している。地図で言うとアメリカの左上、シアトルのちょっと南だ。行き方は二通りあり、アメリカ国内の国際空港から乗り継ぎでポートランド空港か、カナダのバンクーバーに行って乗り継ぎで行くかである。私は後者を選んだ。渡米当日、もう規制が緩和されている羽田空港から出発しようとしたらチェックインが出来ない。係員がカウンターで聞いてくれと言うので行ってみたら「カナダ入国に電子渡航証『eTA』が必要です」と言われた。初めて聞いた名前だ。でもカナダは経由するだけで空港からは出ませんよ。「それでも必要です。無ければ本日は飛行機に乗ることが出来ません」とのこと。え~~、大ピンチ。それでも何とかカナダ政府から承認を得て無事飛行機に乗ることが出来た。早めに言ってよ。
あれ程、騒いでいたカナダの『eTA』、いざカナダへ行ってみると案の定、何も言われることなくアメリカへの乗り継ぎ便に乗れた。バンクーバーからポートランド空港まではプロペラ機で1時間半程度、無事小さな空港に到着し、タクシーに乗って年次大会が行われている会場のホテルへ向かい、10分程度で到着した。夜遅くの到着予定だったのでこの日は何もしないで寝る予定だったが早く着いたので皆さんにご挨拶へと向かう。展示会場(写真①)が開いたところで、皆さんビール片手に商談やらの話で盛り上がっている場所へ私登場。相変わらず握手やらハグやら、挙句の果てには頬っぺたにチューまでされる始末、皆さんとの再会を楽しんだ。
ここアメリカでもやはりまだコロナ前の人数には戻っていない様子。一度離れた人達が戻ってくるのは時間が掛かるかな、でも去年のフロリダに比べればかなりの人数が参加している。コロナ前の展示会場は人でごった返して歩くのも気を付けないとぶつかる位だったが、今回はそこまででは無いが見渡す限りいっぱいの人だかりである。展示会には日本から有限会社東京製作所が出展している。橋本さん親子が前日から入って準備をし、バーナーの火まで出している。大盛況だ。橋本さんの息子・陸はアメリカ人の友人の誘いで硝子加工の経験を積むために2週間位前から渡米して一人で修業をしていた。早速その話を聞いてみた。大学の技官室や大きな会社の工場等いろんなところで経験を積んできたらしく、恵まれた環境で羨ましい限りだ。次世代の日本の理化学硝子業界を引っ張っていく一人、と言うか日本とアメリカの架け橋にもなりうる人材だ。羽田で一悶着あってから今まで日付変更線の影響でずっと火曜日である、もう疲れたので寝ることとした。
水曜日、時差ぼけの影響もあって変な時間に起きたが朝飯の時間まで部屋で過ごしホテルの一階にあるバーへ朝食を食べに降りた。朝食としては良い値段の料理を頂いてふと周りを見渡すと今まで隣の席で朝食を食べていたアメリカの硝子職人達がいなくなっているのに気付いた。セミナーの時間の様だ。私は今回の年次大会ではセミナーは申し込んでいないが、いつものようにメンバー向けに朝8時から夕方5時までセミナー(写真②)があり各々参加しているようだ。朝食を食べ終えセミナー会場へと向かう。中へ入って友人たちに挨拶して今回のセミナーの内容を聞いた。いつものようにベンチワークと旋盤加工で午前と午後で加工をするらしい。お疲れ様です。
今度は違うセミナー会場へ入ってみると、友人のエリックが講師を務めている。大盛況のようだ。一通り見て回り、まだ受付をしてないのに気付き、受付を済ませてから部屋でちょっと休んだらもう午後である。また展示会が始まる。展示会場には無料のケータリングと無料のビールが振舞われ、皆さんそれを片手に商談をしているのでホントに明るい雰囲気と言うか騒がしい感じ、私もほぼ全部のブースでお話をしてきた。今回はコロナ前と同じ規模の展示会に戻っていて約12社が出展していた。暫くすると責任者のジムが何やら子供が遊ぶプールみたいなものを膨らませている。そうか、今回この展示会場でイベント(写真③)をやると言っていたが、これがそうか。どうもポンポン蒸気船のレースらしい。参加者は手製の硝子の船を持って来ていてそれを浮かべて火をつけ走らせて、どの船が一番奇麗か、一番長く走ったか、一番早く走ったか等々を基準にして会場内の観客が投票形式で一番の船を決定する。会場は大盛り上がり、いい大人が真剣になって舟遊びをしている、非常に楽しい。我が日本からは橋本さんが参戦、私は一票投じたが惜しくも敗退となった。
友人のドイツ人クラウスが声をかけてくれてインターナショナルミーティング(写真④)をやるから来てくれないかと言うことで参加した。アメリカ人、ドイツ人、カナダ人、イギリス人、オランダ人、フィンランド人、日本人、実に7か国。話し合われたテーマは『理化学硝子職人の今後』で、やはりどの国でも職人が減少しているらしい。各国の人達に聞いている、どうやったら若い人材が理化学硝子職人になってくれるのか、どんな支援制度があるのか、どのような経緯で職人になるのか。もちろん日本はどうなのか聞かれた。日本には地域ごとに組合があり職人が必要な物を提供している事、私を含めた多くの職人が跡継ぎだと言う事、しかし細かいところは説明が難しいのでアメリカ人の友人エリックが説明してくれた。
アメリカでは誰もが硝子加工を学べるコミュニティーを作って教えている。基金も募って若い人材を支援している。ここでいう若い人材は仕事を始めて3年以内、年齢ではない。
ドイツでは2年間のインターンシップ制度があり硝子加工を学べる。やはり基金を募って集めインターンシップは無料である。
カナダでは特に支援制度は無いがアメリカの組合ASGSに一つの地域として入っていてミーティングを通して加工を学んでいる。
イギリスではやはり組合があって硝子加工者を支援しているが、多くが個人ではなく大学の技官であるのでお金は政府が支援してくれる。
オランダはやはり大学の技官が多いので政府が支援してくれる。
フィンランドは今回、参加していた人に言わせると正式に理化学硝子職人と呼べる人は2~3人しかいないらく、皆で助け合って仕事をしているようだ。
ここでエリックから陸をどのようにアメリカに向かい入れたか説明があった、各国で協力して若い人材を育てるのは必要な事で、今後に繋がる事ではあるが、自分の会社にはすぐに呼べるが、大学の技官室への出入りは難しいので一度就職した形をとったらしい。同じ手で知り合いの会社にも入れたみたいだ。もちろん親友の橋本さんの息子だから呼んでくれたのだが、一度こう言う事例を作ってくれた事はありがたい。日本でも受け入れるよ、と約束をした。でも皆さんの家と違って我が家は小さいので泊めてはあげられませんよ。
木曜日、やはり時差ぼけの影響で変な時間に起きるが朝食の時間までベッドでゴロゴロ、本日はデモンストレーションが朝8時から始まる、その一番手に橋本さんが息子の陸と共に出るので朝食を済ませて会場入り。何かお手伝いをと思い早めに行ったが主催者側の友人達が皆で準備を手伝っていて私の出る幕は無し。撮影に最適な場所をキープして準備完了。程なくデモンストレーション(写真⑤)が始まった。デモンストレーションは何回も披露している橋本さん、慣れたもので途中、アクシデントはあったが完全にリカバリーして終了し質問の嵐を受けている。陸も初めてにしては見事なデモンストレーションだった。お疲れ様でした。
日本人のデモが終わったタイミングで友人のクラウスが来年のシンポジウムの宣伝を始めた。ニュージャージー州のセーラムコミュニティーカレッジで開催、会場は硝子加工に必要なものが全て揃っているので皆さんがいつも仕事をしているようにデモが出来ます。そこに座っているツヨシ(私)も来てデモしてくれます。皆さんぜひ見に来てください。オーマイガー。まだ行くかどうか決めてませんよ。暫く他の方のデモを見てお昼休憩で外へ、帰ってくると今度はアーティスティックデモンストレーションが始まり、その後オークションがスタート、アメリカ人はこういう楽しい雰囲気作りはホントに上手だなー、毎回、楽しませて貰っている。友人のオランダ人と話が盛り上がったらもうこんな時間、寝ましょう。
金曜日、ASGSの年次大会としては最後の日になる。朝一番で友人のサリーの講演がある。どのようにして硝子加工を一般の人達に興味を持ってもらうかという内容らしい。前日、サリーに絶対来てね、と念押しされていたが寝坊して行けなかった。毎日、時差ぼけの関係で早く目が覚めるのにこの日に限って、ごめんサリー。その後、アメリカの理化学硝子加工の始まりの映画の上映があり、興味深い内容であった。お昼ご飯を食べて部屋でちょっと休んだら年次大会最後のイベント晩餐会が開始されるので早めに会場入りしようと行ったらまだ会場には入れない。そこでヨーロッパにも一緒に行ったベンジーと話をし始めたら、カナダ人のケネディーも参加して、また今後の硝子業界の話になった。ベンジーは講演でそのことを発表したばかりだったが話が難しいので英語での理解は無理と諦めて行かなかった話だ。やはり難しくて6割位しか理解できなかった。ごめんベンジー。
晩餐会会場(写真⑥)がオープンしたので早速入りテーブルでご一緒した方々にご挨拶、おしゃべりをしていると料理が出てきて取りに行き、皆さんが食べ終わったタイミングで表彰式が始まった。晩餐会の参加人数は90人弱位、随分と人が戻って来た印象だ。
表彰式が終わり、次回のプレジデントや年次大会の会場が発表されて終了。明日早いので私も部屋に帰って寝ることとした。皆さんまた来年会いましょう、あ!まだ行くか決めてなかったんだ。
土曜日、朝7時半出発の飛行機でサンフランシスコを、経由してロサンゼルスへ。ここからはプライベートの旅行で娘と観光だ。大谷君のホームランを見たり、ユニバーサルスタジオやディズニーランドへ行ったり、ハリウッド近辺を散策したり、ベニスビーチでサーフィンしたりして1週間過ごして帰国した。2週間、仕事を休むと休んだなーって感じです。